今回は、未知で壮大な宇宙を旅した宇宙飛行士たちが残した、感動的で心に響く名言を10選紹介します。
宇宙を見た時の言葉は、地球にいる私たちには感じないきっと特別な意味を持っているように感じます。
そんな、宇宙飛行士の有名なものから少しマイナーなものまで考えさせられる深い名言を10個準備しましたのでぜひご覧ください。
「地球は青かった」
ユーリイ・アレクセーエヴィチ・ガガーリン
1961年4月12日ボストーク1号
ユーリイ・アレクセーエヴィチ・ガガーリンが、1961年4月12日にボストーク1号で人類史上初めて地球の軌道を一周したときに言った言葉は、「地球は青かった」です。
ガガーリンは、ソビエト連邦の宇宙飛行士で、この飛行により宇宙へと旅した最初の人間となりました。
彼のこの名言は、宇宙から見た地球の美しさと、人類が初めて体験した宇宙の壮大さを表現しています。
この瞬間と発言は、宇宙探査の新たな時代の始まりを象徴しており、世界中に大きな感動を与えました。
特に日本では、この言葉が強い印象を残し、ガガーリンの宇宙飛行の歴史的重要性と彼の達成を広く伝えるものとなりました。
「ここに神は見当たらない」
ユーリイ・アレクセーエヴィチ・ガガーリン
1961年4月12日ボストーク1号
ユーリイ・アレクセーエヴィチ・ガガーリンは、1961年4月12日にボストーク1号で人類史上初めて宇宙に到達した際、「ここに神は見当たらない」という言葉を発したとされています。
この発言は、海外では彼の「地球は青かった」という発言よりも有名であり、
ソビエト連邦では無神論的な国家イデオロギーを強化するものとして受け入れられました。
しかし、実際にはガガーリンがこのような発言をした記録は一切残されておらず、この言葉が彼によって実際に言われたかどうかは定かではありません。
この発言は、当時のソビエト連邦の政治的、無神論的な国家イデオロギーで広まったものとされており、ガガーリン自身の宗教観や哲学的見解を示すものではない可能性が高いと考えられています。
「これは、一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大なる飛躍である」
ニール・アームストロング
1969年7月20日アポロ11号
人類史上初めて月面に足を踏み入れた瞬間、「これは、一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大なる飛躍である」という言葉を発しました。
この名言は、個々の成果が如何にして人類全体の進歩に貢献するかを象徴しています。
この一言には、科学技術の進歩によって人類が達成した偉業の重要性と、それがもたらす可能性の大きさが込められています。彼のこの発言は、地球上の人々にライブで中継され、全世界で共有されました。
ニール・アームストロングは、1969年7月20日、アポロ11号のミッションで人類史上初めて月面に足を踏み入れたアメリカ合衆国の宇宙飛行士です。
彼は、オハイオ州ウォーパコネタで生まれ、航空宇宙工学を学び、テストパイロットとしての経験を経てNASAの宇宙飛行士に選ばれました。
ニール・アームストロングのこの名言は、宇宙探査の歴史における画期的な瞬間を象徴するものであり、個人の努力が集合的な進歩にどう貢献できるかを示す、永遠のメッセージとして残されました。
「ヤッホー! ニールにとっては小さな一歩だったかもしれないが、僕にとっては長い一歩だ」
ピート・コンラッド
1969年11月19日アポロ12号
月面に着陸した際、コンラッドは「ヤッホー! ニールにとっては小さな一歩だったかもしれないが、僕にとっては長い一歩だ」と発言しました。
このコメントは、先に月面に着陸したニール・アームストロングの有名な言葉を軽妙に引用しつつ、自身の比較的低い身長をユーモラスに取り入れたものでした。
また、この発言は「NASAが宇宙飛行士のコメントを統制している」という見方に対する賭けに勝つために行われたもので、宇宙飛行士が自分の言葉を自由に表現できることを示す意図もあったとされています。
ピート・コンラッドは、1969年11月19日にアポロ12号の司令官として月面に着陸したアメリカ合衆国の宇宙飛行士です。彼はペンシルベニア州フィラデルフィアで生まれ、プリンストン大学で航空工学を学びました。
その後、アメリカ海軍のテストパイロットとしての経験を経てNASAに選ばれ、アポロ計画に参加しました。
コンラッドは、宇宙飛行士として3度の宇宙飛行を経験し、特にアポロ12号の月面着陸ミッションでの役割で広く知られるようになりました。 ピート・コンラッドのこの名言は、宇宙飛行士の個性とユーモアのセンスを反映しており、宇宙探査の歴史において人間味あふれる一面を示すものとなりました。
彼はジョークを好み、宇宙飛行士としてだけでなく、その人柄でも多くの人々に記憶されています。
彼はジョーク好きで、「初めて宇宙にヌードグラビア雑誌を持ち込んだ人物」としても名を残しています。
「夢を捨てずに引き出しにしまっておけば、いつか必要になったときに、取り出すことができるんだよ」
秋山豊寛(日本人初宇宙飛行士)
1990年8月1日TM-10
宇宙からの帰還後、秋山豊寛は「夢を捨てずに引き出しにしまっておけば、いつか必要になったときに、取り出すことができるんだよ」という言葉を残しました。
この名言は、人々に対して夢を諦めずに持ち続けることの大切さを伝えるもので、夢や目標が現在は実現不可能に思えても、将来的にはそれが現実となる可能性があることを示唆しています。
秋山豊寛は、1990年8月1日にソビエト連邦の宇宙船TM-10で宇宙へ飛び立ち、日本人初の宇宙飛行士となった人物です。秋山は元々TBSの記者であり、宇宙飛行を行う前はジャーナリズムの分野で活動していました。
彼の宇宙飛行は、日本人としてだけでなく、民間人としても初の宇宙旅行者という重要な歴史的成果でした。
このミッションにより、秋山は日本だけでなく、世界的にも注目を集めることとなりました。
他にも「これ、本番ですか?」という名言?や宇宙から見た北海道を「おいしそうな昆布にみえます」という言葉も残しており日本人独特の感覚の発言を宇宙で残しています。
「我々は技術者として月に行った。そして、人道主義者として戻ってきた」
エドガー・ミッチェル
1971年2月5日アポロ14号
ミッチェルは、宇宙飛行から戻った後に「我々は技術者として月に行った。
そして、人道主義者として戻ってきた」という言葉を残しました。
この名言は、月への旅が彼に与えた深い精神的な影響と、宇宙と地球、そして人類に対する彼の見方がどのように変わったかを示しています。
エドガー・ミッチェルは、1971年2月5日にアポロ14号の一員として月面に着陸し、月面を歩いた6番目の人間となったアメリカの宇宙飛行士です。彼は海軍大学院で航空宇宙工学の学士号を取得し、その後マサチューセッツ工科大学で航空学と宇宙航行学の博士号を取得しました。
ミッチェルは、その高度な教育と訓練を生かして、アポロ14号ミッション中に船外活動(EVA)を行うなど、重要な役割を果たしました。彼はパイロットとして、9時間にわたり月で過ごしました。
エドガー・ミッチェルのこの言葉は、宇宙飛行がもたらす唯一無二の視点と、それが個人の意識に与える影響の大きさを示しています。彼の経験は、宇宙探査が科学技術の進歩だけでなく、人類の精神的・倫理的発展にも寄与することができることを示唆しています。
「宇宙からは国境線は見えなかった。」
毛利衛
1992年エンデバー
彼が宇宙から地球を眺めた際に発した「宇宙からは国境線は見えなかった」という言葉は、地球上の国や民族間の緊張や争いを超えた、より包括的な人類の一体感を象徴しています。
この名言は、地球がいかに美しく、また互いに繋がっているかを強調し、遠い宇宙から見ると、地球は国境のない「一つの星」として映ることを伝えています。
この視点は、地球全体の保全と平和を目指す上での大切な洞察を提供し、地球上のあらゆる生命とその未来に責任を持つべきことを私たちに思い起こさせます。
毛利衛は、1992年にスペースシャトル「エンデバー」に搭乗し、日本国籍保有者として初めてスペースシャトル計画に参加した宇宙飛行士です。北海道出身の毛利は、宇宙滞在期間19日間にわたりました。
毛利衛のこの言葉は、宇宙飛行がもたらす独特の経験が、個人の意識をどのように変えるかを示す一例です。
彼の経験と発言は、科学的探究だけでなく、地球とその上に住む人々への深い愛と理解を促進することの重要性を伝えています。
「お父さんは、出張に行ってくる」
毛利衛
1992年エンデバー
毛利衛は、1992年にスペースシャトル「エンデバー」でのミッションに参加し、日本人宇宙飛行士として宇宙を訪れました。彼の宇宙への旅出を表す際に、「お父さんは、出張に行ってくる」という言葉を使ったことが知られています。この表現は、宇宙飛行という非日常的な経験を、日常生活の一部であるかのように軽妙に扱い、彼の人柄と宇宙に対する親近感を示しています。
毛利衛の感覚として、「宇宙には数分でたどり着けるが、昭和基地には何日もかかる。
南極は宇宙よりも遠い」と述べています。
この比喩は、宇宙と地球上の遠隔地へのアクセスを比較することで、現代の科学技術が宇宙への旅をいかに身近なものに変えたか、また人間が直面する探究のフロンティアの多様性を示しています。
これらの言葉は、NHKのドキュメンタリーシリーズ「プロジェクトX〜挑戦者たち〜」で取り上げられ、毛利衛が宇宙飛行士としてだけでなく、一個人としてどのように宇宙とその探究を捉えていたかを伝えています。
彼の言葉は、宇宙旅行の壮大さとともに、そこへ至るまでの人間らしい感情や視点を私たちに思い起こさせます。
「私はカモメ」
ワレンチナ・テレシコワ
1963年Vostok 6号
ワレンチナ・テレシコワは、1963年にVostok 6号で宇宙へと旅立ち、史上初の女性宇宙飛行士となりました。
彼女の宇宙飛行の際のコールサインは「チャイカ」で、これはロシア語で「カモメ」を意味します。
テレシコワが「私はカモメ」と言ったことは、単にコールサインを報告する実用的な意味合いを持つものでしたが、
その発言は後に詩的な表現として捉えられ、彼女の宇宙飛行の象徴的な瞬間の一つと見なされるようになりました。
「スペースシャトルに乗っている私たちにとって、ふるさとと言えば地球しかありませんアメリカも日本もウクライナもインドも、それらの国がどこにあるかは見えなくとも、この地球が私たちのふるさとなのです」
土井隆雄
1997年11月29日コロンビア号
井隆雄は、1997年11月29日にスペースシャトル「コロンビア」号で宇宙に行き、日本人宇宙飛行士として初めて船外活動を行いました。彼の宇宙飛行は、科学的な成果だけでなく、人類と地球に対する深い洞察をもたらしました。土井が
「スペースシャトルに乗っている私たちにとって、ふるさとと言えば地球しかありません。
アメリカも日本もウクライナもインドも、それらの国がどこにあるかは見えなくとも、
この地球が私たちのふるさとなのです」
と述べた言葉は、宇宙から見た地球の一体感と、国や地域を超えた人類の絆を象徴しています。
宇宙から地球を見下ろす独特の視点から、国境や民族の違いを超えた平和への願いを込めています。
土井の言葉は、地球全体が人類共通のふるさとであるという認識を強調し、私たちが共に生きる星を大切にする必要性を訴えかけています。
また、土井隆雄は、日本の宇宙機関JAXAの宇宙飛行士選抜試験でNASAの最終面接において面接官の一人を務めた経験も持っています。これは、彼が宇宙飛行士としての経験だけでなく、後進の育成にも貢献していることを示しています。土井の宇宙への貢献と地球と人類への深い愛情は、彼の言葉と行動から明らかであり、宇宙探査の歴史において重要な役割を果たしています。
他にも熱くて感動する宇宙飛行士の言葉が載っている書籍を紹介!
宇宙の壮大さと人間の探究心を感じさせる宇宙飛行士の言葉に触れたい方には、以上の書籍がおすすめです。
この本は、地球を超えた視点から見た感動と、宇宙への無限の好奇心を伝える宇宙飛行士たちの言葉を集めています。 宇宙飛行士の深い洞察と冒険の物語は、読む者に新たな視野を開かせてくれることでしょう。
まとめ
宇宙飛行士たちの言葉は、特別な経験をしたからこそ、意味が生まれ深い言葉になっていますね。
地球という皆が住む惑星を飛び出て宇宙という壮大で未知の空間から俯瞰的に地球というものを見ることで感じ方や考え方が変わるのではないかと思います。
本当に宇宙旅行が一般的になる時代が待ち通しい限りですね。
他にも宇宙飛行士の名言をご存知の方はぜひコメントに残していってくださいね。
コメント